小学生の頃、五島の福江教会の「けいこ部屋」と呼んでいた教会学校で、週に3回ほどカトリックの教えである「公教要理」を習っていた。
公教要理には問と答があって、全部で450問、付録として1問があった。
その中で一番よく覚えているのが
問 人がこの世にいるのは 何のためでありますか
答 人がこの世にいるのは天主を認め、愛し。これに
仕えついに天国の幸福を得るためであります。
問 天国とはどのような処でありますか
答 天国とは、天主を目の当たりに仰ぎ見て終わりなき幸福を受けるところであります。
私は何度も何度も暗唱した。
家へ帰っても、ずっと声を出して暗唱していると、母がその仲間に加わってくれた。
「天国はさ、一年中、きれいか色とりどりの花が咲いとって、その花の匂いがあたり一面にたちこめて、そして、きれいな音楽が聞こえてくるとよ。こげんな幸福なところは、この世のどこば探してもなかとよ。じゃけん、みんな、この世で罪ば犯さんごとして、天国に行こうじゃんね」と母は、さも今行って帰ってきたかのような、うっとりとした表情をして、私に言った。
「どげんな匂いじゃろか?」 「この世にある、どげんよか香水よりも、いやいやこの世で嗅いだこともなか、よか匂いたいね」
三ツ子の魂百まで、私は現在75歳であるが、ずっと天国に憧れている。
この世でどんな王侯貴族であろうと、天国にあるような安らぎを覚えることはまず無いと思う。
天国にこそ、永遠の安らぎが待っていると思うので、母が言った「罪ば犯さんごとして天国に行こうじゃんね」がまた胸に広がる。