▲をクリックすると音声で聞こえます。

安らぎ

片柳 弘史 神父

今日の心の糧イメージ

 「浮かない顔をしている人を見るたびに、わたしは心の中で『あの人は、まだ何かにしがみついてるんだ』と思います」。マザー・テレサは、若いころ、修道院から母親に宛てて書いた手紙の中にそう記している。

 たとえば、地位にしがみついている人は、地位を失いそうになると不安になるだろう。若さにしがみついている人は、老いに気づくと不安になる。しがみついているものから手を放し、「これがなくても大丈夫」と思えるようになれば、きっとその人は安らかな心で生きられるようになるだろう。人間の苦しみは、何かにしがみつくこと、何かに執着することから生まれる。マザーは、そのことに気づいていたのだ。

 では、どうしたら手を放せるのだろう。「執着を捨て去る」という言い方があるが、キリスト教では「捨て去る」というより、むしろ「委ねる」という言葉を使う。「こんなこと心配する必要がない」と自分に言い聞かせて心配を追い払うのではなく、心配なことを神の手に委ねてしまうのだ。

 「たとえこの地位を失っても、神さまがもっとよいものを与えてくださる。何も恐れる必要はない」「年老いても、神さまが守ってくださる何も心配する必要はない」、そう考えることで心配事を神の手に委ねてしまい、自分はいつも、神に守られた安らかさの中で生きる。それがキリスト教徒のやり方だ。

 自分を鍛え上げ、タフな心になって「あんなものいらない」というより、「あれがなければ不安だ」という気持ちを、神の手にすっかり委ねてしまう方が簡単だとわたしには思える。何かが心配で仕方がないときには、その心配を無理に捨て去るのではなく、神の手に委ねてしまうという方法を試してみてはどうだろうか。