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ときめき

熊本 洋

今日の心の糧イメージ

 人生、悲しみや喜び、悲喜こもごもです。しかし、誰しも、悲しみよりも希望に満ちた「ときめき」ある人生を望み、願っています。

 今、ここでの一刻一刻が、即、我が人生の一コマ・一コマになるわけで、この一刻を決して揺るがせにせず、感性を豊かに、是非とも「ときめき」ある人生にしたいものであります。

 そもそも人間は、どのような時に「ときめき」ある「喜び」を感じるのでしょうか。新しい発明や発見をしたとき、あるいは、初めて何か新しいものを創り出したときではないでしょうか。これには、身近な人の誕生も含まれることを忘れてはなりませんし、この喜びの「ときめき」ほど偉大なものは他にないことを思い起こすべきだと思います。

 また、経済発展をもたらす、物質世界における物作りの喜びの「ときめき」も極めて大きく、その感銘は、消え失せ、忘れ去ることはないと思います。しかし、物質的豊かさのみに満足することなく、常に心の豊かさを第一に考え、心の豊かさに「ときめき」を感ずる、堂々たる人間になることを念願し、たゆまず努力を重ねていきたいものであります。

 旧約聖書に物質的豊かさの虚しさを説く次のような言葉があります。心に留めたいものであります。

 「自分の財産を頼みにするな。"わたしは、何でも思いのままだ" と言うな 」「人を惑わす財産を頼みにするな。いざというとき、何の役にも立たない」「富は、罪に汚れていなければ、善である。貧乏が悪であるとは、不信仰な人の言うことである」「貪欲な目は、自分の持分に満足せず、蓄財に身を削るという悪は、魂を干からびさせる」「すべての業は朽ち果てて、人は、その業とともに消えて行く」
 (シラ書 5・1、5・8、13・24、14・9、14・19)