麗しい。辞書を引くと、「(外面的に)魅力的で美しい」「(精神的に)心あたたまるような感じ」「美しくて立派」「輝くように美しい」などの解説が出てきます。私たちの心に響き、心を打つのは「内面的」「精神的」なものでしょうか。
しばらく思い巡らしていたところ、2000年代初頭に帰天された、一人のフランス人宣教師を思い出しました。
日本に来て間もない頃、冬の寒く厳しい頃の、函館の司祭館での話、気づくと建物のすき間から家の中に雪が入りこむ、その様な厳しい環境での生活。日本語もたどたどしい若い司祭を「神父様!」と信徒の方が慕って下さり、特に高齢の方々によって、司祭として育てていただいたと熱く語っておられたことを思い出しました。
その後、日本で赴任した先々で、キリスト教を出会う人々に宣教し、神様のことを伝え、次第に齢を重ねてゆかれる中で、病気にかかり、最期は病院で入院生活を送られた神父様。
神様からの贈り物だったのでしょうか、私はその神父様が帰天なさる数日前に、病室で直接お目にかかることができました。
お世話になった神父様に、来月、修道院に入って司祭を目指すことをお話ししたところ、喜んで下さり、「日本人の霊魂の救いのため頑張って下さい。」と言われました。黄疸が顔に出ていて、とても苦しいのにも関わらず、満面の笑みを浮かべて下さいました。その笑みが今も忘れられません。神父様のその顔の美しさ、その心を「麗しい」と呼べるのでしょうね。
私たちは、どの様に人と接しているでしょう。心から相手を思い接しているでしょうか。心の想いは自然と表情に出ます。あたたかな想い、麗しさで相手を包み込む、その様な素敵な人になれますように。