1865年の、長崎での"信徒発見"の話は、世界的にも有名です。
1854年、日本は二百数十年以上続いた鎖国がとかれ、数年後に来日したパリ・ミッションの宣教師プチジャン神父らによって、1863年には長崎に大浦天主堂が建てられました。
潜伏していた信者たちは、新しくできた「フランス寺」と呼ばれる建物が、先祖代々伝えられてきた自分たちと同じ信仰の教会だと聞きつけ、代々待ちわびた夢のような出来事に、皆は心をときめかしました。「さっそく確かめよう」という話が出ましたが、「役人に見つかったら殺される」という危険がありました。しかし、女性中心の信者10数名が出かけて行き、ついに確かめることにしたのです。
出迎えたプチジャン神父を見て、一人の婦人が尋ねました。
「私たちの心は、あなたの心と同じです。サンタ・マリアのご像はどこですか」。この言葉に、プチジャン神父は喜びつつも仰天します。日本のカトリック信者は二百数十年前に全滅したと、ヨーロッパでは誰もが考えていました。彼自身も、来日以来、教会を建て、毎日のように潜伏信者を見つけようと努力したにもかかわらず一人として見つけることができないでいたからです。
聖堂の奥にある幼子イエスを抱いたマリア像の前に案内すると、彼女らは涙を流して、聖母マリアのご像を仰ぎ見ました。
そのお姿のなんと麗しいこと。「おお、聖母マリア様だ」「御子イエス様をだいていらっしゃるぞ」信者たちは、喜びにあふれました。
半世紀を経て、いま、この聖母子は、国宝大浦天主堂内の大祭壇を正面に見て右側の小祭壇に飾られています。
そして、ここを訪れる人を今もなお、優しいまなざしで見つめ、見守ってくださるのです。