人は何かに感動すると「生き甲斐」を感じ、「ああ、生きていて良かった」と顔が輝きだします。爽やかに輝くと人が周囲に集まりますが、暗いと人が寄り付きません。感動の種類は沢山あり、特に生き甲斐を感じている時は周囲の人々に好意的になり、その人自身も麗しく輝きます。
さて、1972年に所用で南米を訪れました。当時、アルゼンチンもチリも政治的に混乱していて、怖い思い出があります。特に、チリから無事に帰国できたのは奇跡でした。アルゼンチンから飛行機に乗り、チリに向かった折、森林地帯を越えると砂漠が続きます。ブエノスアイレスからサンティアゴに向かったのですが、8000メーター級のアコンカグアという山を見た時、なんと麗しい山だろう、と感動しました。この記憶は生涯の宝物で、「麗しの元型」ともなり、私の心を非常に豊かにしています。
人々は時々、生き甲斐を失います。生きていてもしょうがない、と暗い気持ちに追い込まれるきっかけは、だいたいが、その折々の生活での不安感ですが、その不安感を真面目に解決しないで放置しておくと、怒りの心情となり、身体症状、鬱、錯乱となっていくのがホモサピエンスの歴史のようです。
「何と美しい」と感動するのが人間ではありますが、平凡な日々を送りだすと、努力しなければ「麗しい感情」には出会えず、心が委縮していきます。日々が平坦だと人は努力しないので、生き甲斐を見失う傾向もあります。
私は、神様との出会いを「信仰は神様からの恩寵」と教わりましたが美しい大地や宇宙を含む大自然の中から、また、光と陰を持つ人間の中からも真善美を感じ取る心、「麗しい感動」を探し出せる知恵も、神様からの恩寵のようです。