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麗しい

中野 健一郎 神父

今日の心の糧イメージ

 小学6年の時、私は平日も教会のミサに毎日通う、ある意味変わった子どもでした。何をするにもワンテンポ遅く、機転も融通も利かず、おねしょは治らず、笑われたり叱られたりする度に、「自分は醜い、駄目な人間だ」といつも思っていました。その悲しみをどうにかしたくて、自然と教会に足が向いていったのだと思います。

 その年の秋、「聖書こどもまつり」という催しが、長崎の信者の小学生対象に行われました。ミサで始まり、私は皆の前で緊張して聖書朗読をしました。ミサ後は神学生による『泥かぶら』という演劇が上演されました。

 ある村に、顔が醜く、汚いという理由で、「泥かぶら」と呼ばれていじめられ、心がすさむ女の子がいました。その彼女の前に、一人の旅の老人が通りかかって言います。

 「次の三つのことを守れば、村一番の美人になれる」と。その三つとは、「いつもにっこり笑うこと」、「人の身になって思うこと」、「自分の醜さを恥じないこと」です。

 その日から、泥かぶらは仕打ちを受けてもにっこり笑い、どんな人にも親切に接し、子守りに励み、村の人気者になります。ある日、乱暴な人買いが泥かぶらをさらって行きますが、彼女の心に触れた彼は激しく心を動かされ、「ありがとう、仏のように美しい子よ」と置手紙を遺し、去っていきます。その時、あの老人の言葉の意味を、彼女は悟ったのでした。

 このお話で、悲しみ一杯の私の心は慰められました。そして当時、教会に私の足が向くもう一つの理由は、祭壇右手の麗しく優しい、マリアさまのお顔が大好きだったからです。

 内面から出るマリアさまの美しさに憧れ、自分ではなく、神のみ旨を一心に見つめ直したいと思うこの頃です。