例年、7月になると教会のご近所の人たちを教会に招待して「納涼の夕べ」をする。庭にテーブルを並べ、ビールの缶を片手に焼肉を食べながら夏の宵をゆっくり楽しむという気軽な行事だ。この行事のとき、わたしは浴衣を着ることにしている。着つけが上手な信者さんに手伝ってもらって帯をぎゅっと締めると、背筋が伸びて、いつもよりスタイルがよくなったような気がする。「神父さま、素敵」というめったに聞けない言葉を聞くのもこのときだ。
背筋が伸びると、不思議と気持ちもまっすぐになるようだ。いじけた視線で斜めから見るのをやめ、ものごとのありようを正面からまっすぐ見つめられるようになる。そんな気がする。姿勢の美しさが、心の美しさにもつながっていくのだ。
毎日、和服を着て帯を締めることはできないが、わたしは毎日、決まった時間、背筋を伸ばして祈ることにしている。特に何か言葉を唱えたりするわけではなく、ただ沈黙して聖堂の椅子に座るのだ。背筋を伸ばして座っていると、日々のさまざまなことに追われて乱れていた心が、だんだん落ち着いていくのを感じる。感情に揺さぶられ、乱れた欲望に引きずられて曲がってしまった心が、だんだんまっすぐになっていくのを感じる。そう言ってもいいかもしれない。
心が整ってくると、「いらいらしてあんなことを言うのではなかった。あとで謝ろう」とか、「先延ばしにしていたあの仕事を仕上げてしまおう」とか、そのような気持が生まれてくる。心が整うことで、生活も少しずつ整えられていくのだ。背筋をまっすぐ伸ばして、心を整え、生活を整える祈りの時間をこれからも大切にしていきたい。