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麗しい

シスター 山本 久美子

今日の心の糧イメージ

 教会の典礼聖歌に、旧約聖書の詩篇147から作られた「うるわしい神の家」という歌があります。普段、私は滅多に「麗しい」という言葉を遣いません。だからこそ、この歌を歌う時、「神の家」というのは、本当に美しく、秩序整った、平和ですばらしいところなのだとイメージでき、そのような「麗しさ」を夢見て、祈ります。「神の家」あるいは「神」にこそふさわしい形容詞という印象を受けます。

 この詩篇の「神の家」は、具体的に「エルサレム」を指していました。現代、エルサレムは、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教の聖地とされ、元々は「平和なところ」という意味があるそうです。全世界で32億人ほどの人々が心のよりどころとし、多くの巡礼者が訪れるエルサレムは、皮肉にも、今も歴史的にも排斥や迫害、離散、戦闘が絶えない場所となっています。

 しかし、詩編147で歌われる「神の家」は、エルサレムだけではなく、すべての人々を招き入れる「神の家」である、この地球の創り主がほめたたえられますようにという願いが込められていると感じます。そして、エルサレムのように傷ついた、人間同士の争いの場と化した世界の現実への切実な願いにつながっていると感じられます。

 詩篇は、捕囚という歴史的な事実に基づき、囚われの苦しみにあった人々を神が「癒し、その傷を包んでくださる」(3節) と続きます。神は、ひび割れた世界に「住む子らを祝福して」(13節)、「平和を置き、...最良の麦に飽かせてくださる」(14節) 方なのです。それ故に、神はほめたたえられ、その家は、いかに快い、麗しさをもたらすものかと語るのです。

 「麗しい」とは、そんな意味ではないでしょうか。