2022年2月24日、ロシアが、ウクライナに侵攻しました。
これは、私たちにとって、驚きであり、戸惑いであり、また悲しみでもありました。なぜなら、このような行為は、私たちが、心から願い求めている真の平和とは対極にあるものだからです。
「あなたがたの中で、知恵があり分別があるのはだれか。その人は、知恵にふさわしい柔和な行いを、立派な生き方によって示しなさい」――とヤコブは語ります。(ヤコブの手紙3・13)もし、真の知恵や分別があるなら、このような蛮行は、起こらないでしょう。
平和――それは、本来、神からの恵みです。しかし、同時にまた、私たちが常に築いていくべきものでもあります。「平和とは、秩序の静けさ」――そう語ったのは、アウグスティヌス。神からの恵みと平和を伝えること――それが、私たちの務めです。
「わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和があなたがたにあるように」(1コリント1・3)――これは、パウロが、諸教会に送った手紙の冒頭で語る挨拶の言葉です。挨拶は、簡潔です。しかしそこには確かに、相手を思いやる心があります。そのような心を、私たちは、祈りと言います。
復活の後、イエスは、弟子たちに現れてこう語りました――「あなたがたに平和があるように」。(ヨハネ20・19、21、26)これが、彼の挨拶の言葉です。
この「平和」は、本来、神が共におられることを意味しています。それは、昔も今も、そしてこれからも、決して変わることのない神の約束であり、真の平和はここから生まれます。
挨拶――それによって私たちは、たとえゆっくりであっても、確かに平和を築いていけるでしょう。