社会人になる若者たちに「こんにちは、ありがとう、ごめんなさいが言えれば、世の中は渡って行けるよ」という励ましが贈られていた頃があった。これを聞いて、若者たちは安心したかもしれないが、実際は大変難しいことなのである。社会では、この三つの言葉、すなわち挨拶と感謝と謝罪を「正しく」出来ることが求められているからだ。
私も就職した時には、まず挨拶が難しかった。相手によっては、挨拶しても無視されたり、「いらない時に限って挨拶する人」などと言われたりして戸惑うことがあった。つまりは何かが「正しく」なかったのだろう。
だが、一緒に仕事をするうちに親しくなり、警戒心の代わりにささやかな信頼関係が生まれると、挨拶の言葉もうまく交わせるようになった。時間が自然な挨拶を連れて来たようだった。そんな記憶がある。
人間関係を思い量る挨拶は本当に難しいけれど、人間の社会を少し離れ、豊かな大自然に包まれてみれば、生き物たちの自然な挨拶が聞こえて来る。その声は、自分が生まれた世界を確かめ、その中で生きることを喜ぶ声だ。そして私たち人間にもまなざしを送り、自分たちを理解してほしいと言っているようである。
「私を認めて、私を仲間に入れて。私もあなたを認めています。」
挨拶とは、この世界に生きようとするものが皆、上げる声であり、同じように生きようとしている他の存在を認めて、送るまなざしなのだと思う。一本の樹木がそこに立つだけで、世界に送る挨拶。見上げる人もその時、挨拶を返しているのだ。この世界に生きるとは、何と難しく、そして素晴らしいことだろう。