私たちの生活に挨拶は欠かせないもののようです。
日常の家庭生活でも朝、元気に「お早う!」と挨拶し合うだけで、家族皆の気持がリフレッシュされ、新しい一日を元気に始めることができます。社会生活でも初対面の人とは名刺を交換してお互いを認め合い、そこから話が始まります。出会いは人生の宝です。
親愛の気持を伝える手紙やカードの交換も大切な挨拶でしょう。特にコロナ禍の現状では、直接会えない寂しさを和らげてくれます。人は触れ合う中で愛を求め、それが感じられた時、幸せな気持になれるからです。
私は今、87歳。一人住まいです。膝を痛めて教会にも中々行けず、家族とは酸素含有量の報告等で毎日繋がっていますが、一日中、誰とも会わず、会話もしない日が多いのです。
然し全く寂しくありません。この満ち足りた幸せな気持はどこからくるのか?それは毎日神に挨拶しているからだと気づきました。挨拶は人との関係だけでなく、神との密接な交流で、それは祈りではないかと。
私たちは生まれる時代や環境、能力などを自分で決められません。
いのちは神の賜物だからです。神は私たち一人一人に特別な使命のいのちを与え、その人に必要な恵みを個々別々に与え、生涯を責任をもって見守り、善い方向へと導いておられます。
その大きな神の愛をイエス・キリストは、み言葉と十字架の死で証し、復活して慈しみ深い友となり、弱い私たちの祈りに応えて生活に寄り添い、慰め、励まして下さっています。祈りには、無限の神の力を平凡な日常に呼び込み、新たに生かす偉大な働きがあるのです。
コロナ禍でイエス様がより身近になりました。私に与えられた恵みを感謝して、皆の無事を祈り続けたいと願っています。