私は神父の卵といえる神学生時代、マンドリンクラブに入っていました。そして、ひょんなことから、唯一音を出さないパート、指揮者に選ばれました。
指揮者の先輩が、卒業して2ヶ月ぐらいたった頃、仕事帰りに楽団の練習を覗いてくれました。そして、「おまえは俺が2年間作り上げてきた音を、2ヶ月で全く変えてしまった。この楽団はもう俺の楽団ではない。」と寂しそうに呟くのです。
確かに、そう言われてみれば先輩の音の作り方は、一音一音丁寧に、きっちりとした音を組み立てていく指揮の方法でした。私にもその力があれば良かったのですが、何しろ音楽の素養が無いために、マンドリン出身の指揮者から学びながら指揮をするという、がむしゃらな指揮でした。
その先輩に、「どう音が変わったのですか?」と聞いてみると、「おまえの音は、のびのびとした自由な雰囲気の音だ」と褒めてくれたのです。
その言葉を聞いて、思い当たることがありました。先輩には自分の理想とする音がいつもあるのです。だから理想の音を手本に、楽団の音を修正し、美しい音を作り上げることが出来るのです。でも、私にはその理想がないために、今ある音を欠点のあるまま上手く組み立てて、それぞれの持ち味を活かしながら、その時の最上の音を目指すといったものでした。
結果、先輩の演奏は、きっちりとして端正で、間違いの少ないバランスのとれたものとなり、私の演奏は、間違いもある荒削りのもので、でも活気と迫力が広がったものとなっていたのです。
後に、神父の養成所で教育する側に立った時も、同じように、理想ではなく、今あるものを活かすことに私は力を注いだのでした。