「一本木山」と呼ばれる、長崎の我が故郷の教会の裏山は、潜伏キリシタンたちが密かに集まり、祈っていた場所であり、迫害時代、大浦天主堂から、当時のプティジャン神父様がお忍びでやってきて、この山の泉で洗礼を授けていたそうです。やがてここに修道院と教会が建てられ「マリアの山」と呼ばれる祈りの場所になりました。
まだ私が神学生だった10年程前の年の瀬に、この故郷の教会が火事になりました。朝、クリスマスの馬小屋に灯され、消し忘れられたろうそくの火がじわじわと引火し、翌朝気づくと聖堂内には炎が上がっていました。焼失せずに済んだものの、聖堂の内壁は煤で真っ黒で、主任神父様や信者さんたちの落ち込み方は大変なものでした。それでも皆さんは雑巾持参で集合し、水浸しの聖堂から、煤だらけの椅子などを運び出していました。
感心したのは、誰一人、不平や恨み言を言わず、「これで絆が深まる」と話していたことです。心配をよそに約一か月後、聖堂は壁面も照明もちょうど貼り替え検討中だった天井も、改修されて反ってきれいになった上に、火災保険と、匿名の多額の寄付のおかげで、工事後は逆に黒字でした。その後、私が司祭になって初めてのミサも、きれいになったこの聖堂で捧げることができました。
神さまのなさることは、人の思いを超えて偉大。でも、あの逆境の中でも、事態を冷静に受けとめ立ち上がる、信者さんの芯の強さも偉大でした。信仰という、脈々と受け継いだ神とのつながりが、危機を乗り越える確かな力だったと思うと、私はこの共同体で育んでいただいたことを誇りに思いました。
毎日を神さま中心に過ごせますように。