日本の歴史、特に大化の改新や幕末は私の心を刺激します。そこに登場する人々は置かれた立場に適応して生き延びた人、適応できなくて命を落とした人々と色々です。不思議な現象に見えますが、10代、20代各世代の人々が生きた時代を思索、想像していきますと、それぞれの時代での適応事例が見えてます。神秘的な神様の摂理のようなものを感じます。
例えば、危険だから逃げ出そう、と逃げて生き延びたが、その場に適応できない自分の弱さから自虐的になり、かつ反省ばかりして、生きる勇気を喪失している哀れな自分の姿に衝撃を受けた事があります。
今は、何とか生き延びた自分を素直に神様に感謝できるようになりましたが、何故あの時、危機を乗り越えられたか、結論づけますと、その場その場の「不安感」を、どう対処したかがキーワードのようです。
古来、人類に、深い哲学を説いたプラトンやアリストテレスもいますが、私が一番好きな方はイエス様です。また、旧約聖書の詩編や雅歌、そしてヨハネ書は生き抜く知恵が山のように書かれています。どんな場合、現実に適応したらいいのか、どんな場合、適応せずに迫害を受け、短い人生を終わっても幸せな生涯なのか、その微妙な真理をイエス様は教えて下さいました。
30代で亡くなる人も、10代、20代で亡くなる人々も、私は沢山見てきました。100才で亡くなる方が、不満不平を言いながら亡くなる背景にも色々の哀しみがあるのですが、その違いは、どこから生まれてくるのでしょう?その理由を探るのが人生かもしれません。
「成しとげられた」という言葉が、ヨハネ福音書19の30にあります。
自分独自の生き甲斐発見法はイエス様の生涯を研究するのが近道のようです。