昨今よく耳にするレジリエンスという英単語は、「困難に適応する能力」と訳されることがよくあります。ただニュースの翻訳ではこの言葉に定訳がなく、原文の意味に応じて様々な日本語に言い換えています。というのは、適応能力だけでは、この言葉の翻訳は不十分だからです。適応という言葉には、自分の考えとは別に状況に応じた対応をしたり、ときには自分の考え方を変えたりもして環境や事態に見合う振る舞いをするイメージがあります。
しかし、レジリエンスには単に周囲に調子を合わせるだけでなく、「しなやかに」という意味もあります。言い換えれば、ある点では環境に応じた行動を取りながらも、完全に順応してしまうのではなく、自分の芯は一本、しっかり貫いておくということです。
キリストの振る舞いを考えてみましょう。
イエスは当時の一般的な価値観とは異なり、女性や罪に対して寛大かつ臨機応変な対応をしています。蔑まれている人々と親しく付き合いもしました。実に柔軟な姿勢です。
一方、どんな目に遭っても絶対にぶれない芯もありました。隣人愛とゆるし、神への愛においては、教会の売り場を破壊してでも妥協を見せませんでした。最後は命を賭しても人の罪を贖われたイエスは、この点では適応どころか頑強な態度で行動の芯を貫いたわけです。
イエスの行動を思うと、私はこれこそがレジリエンス、しなやかさではないかと感じます。自分を失わずに適応するには、揺るがぬ芯を持つ必要があるのです。イエスは、レジリエンスのお手本ともいえるでしょう。
カタカナで聞くと縁遠い言葉ですが、しなやかさと訳せば、生きる指針の一つにできるかもしれません。