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西田 仁

今日の心の糧イメージ

 新型コロナの流行が始まった時、最初に中国、続いて欧米の感染状況や日々の死者数がニュースを通じて日本にも伝わって来ました。

 この時、いずれ日本も同じ状況になると思い、医療者として死を覚悟し、家内と自分の亡くなった後の事などを話し合いました。幸いに日本で海外のような状況になることは、今のところ無いようです。

 当時私は47歳、自分の人生を振り返る機会になりました。すると、自分にとって、米国で過ごした幼少期の3年間と、中学高校時代の6年間の比重が圧倒的に大きい事を再確認しました。不思議なもので、47年間という時の中で、わずか20%にも満たないのに、人生の3分の2くらいを占めている感覚でした。改めて「時」というものが、同じ速さ、同じ密度で流れていないのだなと思った事を覚えています。

 そんな頃、時期がちょうど2020年の四旬節であったこともあり、イエス様の人生の時の流れをふと考えました。

 決して真面目な信者では無い私、それほど聖書を読み込んだ訳ではありませんが、そんな私が受ける印象では、聖書に出てくるイエス様の人生は、ご生誕と30歳頃から御復活されるまでのおよそ4~5年間がほとんどであるということです。しかしながら、もしかするとイエス様が十字架の上で想いを馳せた日々は、大工の子としてマリア様とヨゼフ様のもとで過ごした幼少期なのかなと、神であるイエス様に対して不謹慎かもしれませんが、そんな事を考えてしまいました。

 聖書には出てこない、イエス様の幼少期にもきっと何か大きな意味があったのではないか、そうでなければ、救い主がわざわざ言葉も喋ることが出来ない幼子としてこの世に遣わされる事は無かったのではないでしょうか。