どのような時間の使い方をすれば私たちは幸せになれるのでしょうか。
誰にでも一日24時間が平等に与えられています。その時間の使い方によって、人は一日を楽しく有意義に過ごすことができ、逆に苦々しさと後悔ばかりを残すこともありえます。仕事上の成功を収めることもでき、その逆もあります。
与えられた時間の使い方によって明らかに差が生じ、その一日、ひいては人生が変わっていくのです。
時間の価値ある使い方は、その人の仕事や人生などの目的と切り離しては考えられません。多くの場合、その目的に相応しい使い方ができれば、人は充実感を味わうことができます。
例えば、試験に合格したいという目的を持つ人がいるとします。
その人にとって、合格のために勉強することは、時間を活用することになります。しかし、もし勉強時間にダラダラとネットサーフィンをしたり居眠りしたりすれば、時間を無駄にしてしまうことになります。試験の合格以外にも、私たちは人生に何らかの目的を持って生活していることでしょう。その目的を意識して、そのために時間を活用できれば、私たちは幸せになれるはずです。
ところで、誰にも共通する人生の目的は、何でしょうか。
人間が神様から造られ、人生という時間を与えられたのであるなら、神様を抜きにして、その目的は語れません。
私は、カトリック教会の教えから、人生の目的は「神を知り、神を愛し、神に仕え、永遠の幸福に入ること」だと考えています。
神様は私たちの幸福のために使うことを望まれ、すべての人に時間という宝を与えられました。神様のみ心にかなうのであれば、平凡な日常生活に流れていく時間も、非常に価値あるものになるのです。