私たちはこの世に生を受けて時の流れの中で生き、様々な時を経ながら人生を歩んでゆきます。入学、卒業、就職、結婚、出会いの時、別れの時、様々な時がありますね。その「時」がいつ訪れるか。時期がはっきり決まっているものもあれば、はっきり決まっていないものもあり、必ず訪れる時もあれば、人によっては、訪れない時もあります。
必ず訪れる時とはどの様な時でしょうか。
たとえばその一つに「死ぬ時」がありますね。これは誰も避けられない「時」。捉え方にもよりますが、神から呼ばれる時、召される時と言えるでしょうか。そう捉えるならば、先が見えぬ不安な時ではなく、神に迎えられる時、神の懐に抱かれる時、安心して自分を委ねる時と言えるでしょう。
今、どんな時を迎えていますか。どんな時を待っていますか。
私たち一人一人にとって、「時」はかけがえのないもの。必ず訪れる時に向け、時期が決まっていてもいなくても、良い準備のうちにその時を迎えられれば良いですね。そのように歩んでゆくのならば、訪れるかも知れない「時」、訪れないかも知れない「時」、どんな「時」に向けても前向きに歩んでゆけるのではないでしょうか。
もちろん喜びのうちに歩める日もあるでしょう。悲しみの中、不安の中で歩む日もあるでしょう。前に向かって歩める日もあり、たじろいでしまって一歩も歩めない日もあるでしょう。その様な中でも「時」は止まることなく進んでゆきます。
「時」の中で歩む私たち、その歩みが確かなものでありますように。ひとり一人が歩む時、迎える時、出会う時、全ての「時」が、神から照らされ、祝された時となりますように。