それまでの流れが、ふっと止まったかのような時があります。例えば、午前零時を境に、新たな年を迎えるような時です。時と時間は、どこか違うような気がします。時間は流れるのでしょうが、時は、その流れがある一点に凝縮されたようなものかもしれません。
私たちの時間の体験は、不思議です。同じ時の流れを過ごしながらもある時は短く、またある時は長く感じます。一日は24時間、1時間は60分、そして1分は60秒。このような時間は、量的で客観的な時間です。ですから私たちは、それを時計で計ることができます。このような時間を、クロノスと言います。
一方で私たちは、別の時間の体験をします。例えば、自分の好きなことに熱中している時や、大切な人と共にいる時などは短く感じます。その反対ですと、長く感じます。でも、時計で計ってみれば、同じです。このような時間を、カイロスと言います。
私たちの日常生活は、クロノスの中で営まれます。しかしその中で、私たちは、掛け替えのない人と出会ったり、大切な決断をしたりします。そのような時は、ただ流れ過ぎ行くような時間ではなく、私たちに希望を与える掛け替えのない時です。
ある時イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いていると、シモンとアンデレが網を打っているのをご覧になり、声を掛けます。「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう。」(マタイ4・19)イエスとの出会い――カイロスの体験です。その時、二人は立ち止まり、すぐに網を捨てて彼に従いました。私たちも、イエスと出会います。それは、復活したキリストです。彼は、世の終わりまでいつも私たちと共にいて、こう約束されます――「あなた方に平和があるように」。(ヨハネ20・19)