時というものは、人の心を育むものかもしれません。先日、10数年前に私が介護職員として働いていた老人ホームの近くに偶然行く機会があり、ふと郷愁の思いに駆られ、久々に訪れることにしました。実に5年ぶりの訪問でした。事務所に入り、「おつかれさまです」と挨拶をすると、最初は少し驚いた様子でしたが、次の瞬間には何人もの職員の方々が「お久しぶりです。お元気でしたか?」と、嬉しそうに迎えてくれました。
よく食事をご馳走になった上司はすでに定年退職をして、お孫さんをかわいがる日々とか。また、私が親しかったご高齢の利用者さんの多くはすでに天寿を全うされたとのこと・・・寂しい心の中にも、幾人もの温かな笑顔が思い浮かびました。懐かしい職員の方々とひととき談笑すると、私は一礼してから老人ホームを後にして、昔と変わらない広い庭を歩きました。
再会した職員の中には、共に働いた頃には気の合わなかった人もいましたが、穏やかなまなざしで声をかけてくれたことに感謝しつつ、時の流れを実感しました。
当時、至らぬ点のあった私と理解し合えなかった先輩には、残念ながらお会いできませんでした。以前に訪れた時、その先輩は私とベビーカーに乗ったダウン症児の息子の姿を見つけると、すぐに駆け寄り、その場にしゃがんで幼い息子の目を見つめ、優しい言葉をかけてくれたのでした。その時の場面が脳裏に甦りました。
人間関係とは頭を悩ませるものであり、私たちは人をゆるすことの難しさに直面します。しかし、久々に古巣の職場を訪れて、〈時というものは私に〝ゆるしの心〟を教えてくれたのだ〉と思うことができました。その日私は、かけがえのない再会の恵みを頂いたのです。