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岡野 絵里子

今日の心の糧イメージ

 「時」とは一体何だろうか。それは流れる時間のことであり、その中の一瞬一瞬の時刻のことでもある。私たちは時計の表示を止めることは出来ても、時間そのものを止めることは出来ない。時間は変わらぬ速度で流れる大河であり、人間は一枚の木の葉のように押し流されていく。

 だが、この「葉」は、自分に与えられた時間を人生と呼び、そこに意味を見出そうとする葉なのだ。

 50代の或る女性に伺った話である。彼女は夫に朝食とお弁当を作るため、毎朝5時に起きていたが、仕事が重なって過労になり、起き上がれない日があった。すると夫が、ずれていた彼女の布団をかけ直してくるんでくれ、優しくポンポンと叩いたのだという。ポンポンには労りがこもっていて、『今日は起きなくてもいいから寝ていなさい。いつも大変だったね』という夫の無言の言葉が伝わってきた。

 彼女はそれで、『今まで頑張って来たことを、夫はわかってくれていたのだ』と思い、そしてなぜか夫と結婚して以来の長い時間があふれて来て、胸が一杯になったそうである。

 彼女はよく働いて来たのである。介護はもちろん、家事も育児も他者のためにする労働であったから、自分の人生が費やされ無くなってしまったように感じていた。でも本当は感謝され愛され、時には自分の方が労られる豊かな人生だったのだ。この時彼女は、自分の中を流れる「時」に触れ、その意味を知ったのかもしれない。

 それぞれの人生という賜物。輝くようなその意味を、誰かが教えてくれる日が来る。それも「時」である。