日本の四季は美しい。時々見る星空にも感動します。こうした喜びの感情も、世代によりその味わい方も変化していますが、生きる喜びだけは生涯持続して味わいたいものです。
持続したいものがもう一つあります。それは信仰心。それも、神様と出会った青春時代の、あの新鮮な信仰心です。あの初々しい喜びを何故、喪失してしまったのか?昔々、「キリストの十字架に従う者となり真の愛を実践しなさい」と神父様に言われた時「そんな困難なことは出来ないし、真の愛って何だろう」と悩んだ青春時代の信仰心です。
私にこの数年、不思議な感情が湧いてきます。それはミサでいただくご聖体を味わうときです。ご聖体を口にすると、何故か過去の明暗、喜怒哀楽の感情が、具体的な場面とともに湧き出してくるのです。心地良い場面もあるのですが、苦々しい場面も出てくるのです。
懐かしい人々の思い出、美しい音楽で楽しく友人と過ごしている青春の場面、うっとりと味わった最初のフランス料理、「永遠の生命」という考え方が存在している、ということを知った時の感動と喜びと恐怖。
この最近の心の世界も年相応の現象であることは理解出来るのですが、何故かあの初々しい信仰心をも求めだしています。
良い習慣、良い仕事、良い友達は生涯持続したいのですが、激しく変化していく国内外の政治経済状況に支配されていく私たち。次から次へと起こる色々の危険な状況を乗り越えて生きている人類。そんな状況での人間をしっかりと支え希望を与えてくれるものが欲しいものです。
私の場合は愛である全知全能の神様のようです。この神様を信じて生きていきなさい、と助言して下さったあの神父様を今、懐かしく想い出しています。