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無欲無私

シスター 下窄 優美

今日の心の糧イメージ

 人を評価するときによく使う言葉に「あの人はいい人」という言い方があります。では、いい人とはどんな人でしょうか?周囲の皆さんの評価の高い「いい人」を観察してみると、共通点がありそうです。嘘や嫌味、皮肉を言わず、その代わりお世辞も言わない、つまり正直で率直な人。他の人のことを思いやり、他の人のために時間や労力を快く提供できる人、つまり寛大な人。さらに言えば他の人のために損のできる人、無欲無私な人です。

 無欲無私と言えば、私が初めて修道院の院長の任を受けて過ごした一年間は忘れがたいものでした。それは院長という役目が無欲無私でなければできないことを身をもって体験させられたからです。

 シスター達は日に何度も院長を呼び出し、相談し、報告し、許可を願います。シスターたちにとって院長は一人ですが、院長にとって、シスターは複数人ですから、なかなか大変でした。

 そうしたある時、シスター達のことしか考えていない自分にふと気が付きました。院長という役目は自分のことを忘れて、時間、能力のすべてをシスター達のために提供するように仕向けられているようでした。

 この小さな経験は無欲無私の最高の模範であるイエス様のことをもっと身近に感じることができる大きな助けとなりました。自分のためではない苦労、心配をする時、イエス様の私たちを思う心に近くなれるような気がしました。
 イエス様こそ、最高に「いい人」でした。当時の権力者を正して反感を買う一方、貧しい人たちには本当に優しく、自分の話を聞くために従っていた大勢の人の食事の世話までしたのです。

 イエス様の磔刑は、無欲無私の、私たち人間への大きな愛の何よりの証でした。