神様を感じる一番の早道は「無欲無私」これなのかもしれません。
沢山の自分の中にある執着や囚われ、こだわりを捨てて空っぽにする、その空っぽに神様の居場所を創る。それが大きいほど神様の思うところを生きることが出来る。でも、これがなかなか出来ないのです。
どうすれば出来るのでしょうか?何かリアクションが欲しい所です。
黙想をしてみましょう。私だけに下さっている神様の思いを、祈って探しましょう。
私は普段の生活が忙しく、神様のいない生活をしてしまっています。
神様が中心の生活が、いつの間にか私が中心になっています。
何に重きを置くと毎日の生活が、豊かに活き活きとなるのでしょうか。
あまり考えた事のない所から切り込むことになるでしょう。
イエス様が私達を贖って救うという、その御業そのものを、聖書から味わいながら読み、観て、聴いて、感じて、触れて、苦しんで、涙を流し、喜びを共にし、その「愛」を知る。
「五感を使って、その御業と御心を知る。そんな中で、私がいかに愛されているかを気づく事がとても大事です」と、教えて貰ったのを思い出します。これがなかなか出来なくて苦しく、もがき、悩みました。しかし、これが出来れば「イエス様と共に」の生活が出来易くなります。
修道生活は、「イエス様と共に」の生活であります。これが出来れば失敗しても傷ついても立ち直れるでしょう。
「無欲無私」とは、私たちが生きるのに一番楽になれるものだけど、一番難しいもののように思われます。
一旦、神様に委ねきって、全部空っぽになって、神様のみ旨を探す、イエス様の御心を気づき、それを生きる。そんな日々を送りたいものです。