良寛さんが諸国遍歴の後、故郷越後の五合庵に落ち着いたのは、47歳。そこでの生活は約13年間、その後、乙子神社草庵に移り約10年間を過ごします。彼の生活は、いたって質素なもの。恬淡な生き方、言い換えれば、清貧です。この生活は、彼が自ら選んだものです。
清貧――この言葉には、どこか、凛とした佇まい、衒いのない明るさ、そして、静かな喜びを感じます。
良寛さんは、実に、自由な心の持ち主でした。ですから、金銭や物などはもちろん、地位や名誉といったものにも囚われていませんでした。いわば、それは、「足るを知る」といった生き方です。時を忘れて子供と遊びに興じていたというのも、頷けます。
このような生き方は、魅力的ですが、そう簡単でないのも事実です。しかし、不可能ではありません。
もし、私たちが、何も持たずにこの世に生を受けたことを思い起こすなら、その道は、見えてきます。ヨブは、次のように語ります。「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ」。(ヨブ記 1.21)また、パウロは、こう語ります。「いったいあなたの持っているもので、いただかなかったものがあるでしょうか」。(1コリント 4.7)
私たちを振り回すさまざまな「欲」は、心の中から出てきます。
「人から出て来るものこそ、人を汚す。中から、つまり人間の心から悪い思いが出て来るからである。みだらな行い、盗み、殺意、姦淫、貪欲、悪意、詐欺、好色、ねたみ、悪口、傲慢、無分別など、これらの悪はみな中から出て来て、人を汚すのである」。(マルコ 7.20~23)
ある日、五合庵に盗人が入りました。しかし、何も取る物がなくて、布団を持って行ってしまったそうです。
ぬす人に取りのこされし窓の月