私は、神父になるための養成所である神学院に勤務していますが、この15年の間に、大きなうねりが2度ありました。福岡と東京の二つの神学院が一つになり、10年経ってまた二つの神学院に分かれるという、うねりです。
どちらの時も東京の責任者だったのですが、福岡の責任者もまた同じ人で、同じうねりを味わったものとして今でも連絡を取っています。
合同と分離という2度とも、私は同じ気持ちを持って動いていたと、今になって感じます。それは、新しい動きを壊してはならないという「使命」のようなものでした。
合同の時、それぞれの神学院がなくなり、新しい神学院が出来たということを、過去のものが無くなったという寂しさではなく、新しいものを作ろうとするダイナミックな動きとして捉えようとしたのです。
だから、ことばの端々に、未来を作る気構え、新しいものを作る誇りの気持ちを込めるように心がけました。
すると、そのことは私の態度にも表れました。それまで相性が合わなかった学生に対しても自然に頭を下げ、一緒に作るプロジェクトに巻き込もうとしました。本気になっていることを表すため、祈りの声も大きくなっていきました。
分離の時は、東京らしさを前面に出し、学生皆が新しい創立者の気持ちを持つようにと心がけました。私は、普通は一人でいることが多い性格だったのですが、雰囲気作りのために、学生と共にいることも多くなりました。
また、視野が自分のものから俯瞰した視野へ、そして自分のこだわりから大きな目標のためへと変わるその原点は、「動きを壊さない」という事を大事にする気持ちなのだと、あらためてこの頃感じ始めているのです。