イエス・キリストの誕生を天使から告げられたとき、聖母マリアは、「お言葉どおり、この身に成りますように」と言って天使の言葉を受け入れた。(参 ルカ1.38)十字架上での死が間近に迫る中で、イエスはその苦しみが取り去られることを願いつつも、「わたしの願いどおりではなく、御心のままに」と言って十字架につけられる定めを受け入れた。(参 ルカ22.42)
「わたしはそんなの嫌です」と言ってマリアが天使の言葉を拒んだり、「わたしはもっと長く生きたい」と言ってイエスが十字架を拒んだりしていれば、神の救いが実現することはなかっただろう。
自分の思いより神の思いを優先して生きるとき、わたしたちを通してこの地上に神の偉大な業が実現する。イエスとマリアの模範は、わたしたちにそのことを教えてくれる。
「スラム街の聖女」と呼ばれたマザー・テレサは、このイエスとマリアの心を現代に生きた人だった。彼女はいつも、自分のことを「神の手の中の小さな鉛筆」と呼んでいた。自分は使い古されて短くなった鉛筆のようなものだが、神という偉大な画家は、このちっぽけな鉛筆を使ってさえ素晴らしい絵を描いてくださる。わたしは神が動かすままに西へ行き、東へ行って貧しい人々に奉仕し続けるだけだ。マザーはそのように考えていたのだ。結果として、マザーの人生は一枚の美しい絵になった。マザーを通して、神の偉大な業が実現したのだ。
わたしたちは小さなものに過ぎないが、こんな小さなわたしたちでも、神の御旨のまま、愛の命じるままに生きるなら、永遠の美しさや神の偉大さを地上に刻むことができる。この事実の中に、わたしは大きな希望を見出している。この希望に照らされて、今日もこの一日を精いっぱいに生きたい。