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無欲無私

熊本 洋

今日の心の糧イメージ

 人間、だれしも、何らかの希望や願望を持って生きています。希望や願望を抱かず、「無欲」で、自分自身を虚しくして生きたとしても、その行為自体、「無欲無私」という希望や願望を抱いています。

 人間は、絶対といっていいほど、無欲で、己を虚しくすることは出来ないと思われます。食欲あり、性欲あり、さらには、お金持ちにもなりたいなどと、際限なく願望する貪欲な存在が人間であります。無欲で、自分自身を無きものにすることは、人間にとって極めて困難なこと、恐らく不可能なことと思われるほどです。

 無欲で自分自身を虚しく出来るのは、生きる意欲を全く失った人間か、あるいは、旺盛な生きる意欲に満ち溢れながらも、無欲で自分自身を虚しく出来る徳を積んだ、高潔な人間に限られるのかもしれません。

 いずれにせよ、高潔な人材輩出を期待したいものです。高潔な人間が輩出されるには、どうすればよいのでしょうか。

 先ずもって、この世に生を受けた私たちそれぞれが、なぜこの世に生まれたかという、この世に生を受けた根本的意義を思索するとともに、人生の目標を見定め、それに向かって邁進できる人生を送りたいものです。

 その目標は、人によってさまざまと思われますが、民主主義社会においては、互いの「思いやり」こそ大切で、「独り善がり」の「私利私欲」の生き方は、許されません。

 「私利私欲」と真逆の「無欲無私」を全ての人に欲求することは不可能なことかもしれませんが、いくらかでも、人々が「私利私欲」を敬遠し、「無欲無私」に近づいてくれることを期待して止みません。