無人島に何かひとつだけ持っていけるとすれば、何を持っていきますか?ある中学生は、この質問に「友だち」と答えました。その答えに、なるほど、とうなりました。他の子が、「ナイフ」「水」などと答えた中で、その子は「人」を選んだのです。
ところで、自分が選んだその人は、もとはといえば、自分が欲しかったから与えられたという訳ではありませんでした。初めはたまたま同じ学校に行ったとか、同じ習い事をしていたとか、近所に住んでいたとかそういうありふれたつながりだったのです。
しかし今、ふたりは無人島で生き抜こうとしています。ケンカしては仲直りし、意見が合わないときは、じっくり話し合いを重ねてなんとか解決法を探します。島は、ふたりの間がうまくいかないときには牢獄のように感じられ、またふたりがわかり合えていると感じるときには楽園のようです。
「いったいあなたがたの持っているもので、いただかなかったものがあるでしょうか」という聖書の言葉が、次第にわたしの腑に落ちます。(1コリント 4・7)
この人は、神からの贈りものなのだと。
教会の結婚講座に、あるカップルが来られました。お互いへの思いやりと優しさに溢れたふたりの対話から、学ぶことが沢山ありました。彼らはお互いに、相手が無理をしているときにはわかると言います。そして、自分のタイミングではなく、相手のタイミングを待つことが大切だと。また、相手のことが理解できないと思っても違うところが面白い、というふたりの言葉をきいて、とても感心しました。
「わたし」を脇へおいて、「わたしたち」となって生きるとき、自分の欲しいものだけでなく、相手が必要とするものを求めるとき、実に愛に生かされています。