「無欲無私」は憧れの境地である。自分の利益を求めようとせず、何事にも執着や欲望を持たないなら、どれほど清々しく、穏やかな心でいられるだろう。
私には無欲になりきる自信はないけれど、少なからぬ人々が、貪欲に生きることより、ある意味では無欲に、そして身軽な生活の方に価値を置いているように感じている。
本来はヨガの行法の一つだった「断捨離」が、不用品を処分して、家の中を片付けたり、人生を整理し直す意味に使われるようになったのは2009年頃からだったろうか。多くを買い、多くを所有する生活が幸福なのだ、という考え方から、物欲を捨てた身軽な生き方へと、静かな方向転換があったのだと思われる。
私の知人には、物欲があまりない人と、何事にも貪欲な人がいて、その振る舞いは実に対照的である。食べ物を皆で分ける時など、貪欲な知人は美味しいものを自分にさりげなく取り分けるし、物欲のない知人は取り分に不公平があることに気づきもしない。日頃は、貪欲な知人は努力で切り拓いた仕事を成功させており、無欲な知人は争いのない穏やかな人生を送っている。それぞれに役割があり、それぞれの幸せがあるのだから、どちらの人生が良い悪いとは言えない。
でも不思議なことに、この無欲な人が、皆に愛されるのである。お皿には、誰かが食べ物を乗せてくれているし、何かと親切にされている。周囲の人々に、慎ましく清らかな人を守りたいという気持ちが働くのだとしたら、素晴らしい。無欲でいるほど、豊かに恵まれることになるのだから。そのように人々が守り合う、豊かな時代が始まって欲しいと思う。