無欲無私といって、すぐに思い浮かぶのは、マザー・テレサ、アフガニスタンの復興支援に全力を尽くし、凶弾に倒れた中村哲医師など、沢山の先人の名が私の心によみがえる。
その中にあって、私が実際に接した無欲無私の人を紹介したいと思う。
私が少女時代に、長崎・五島の福江教会の主任神父であった松下佐吉神父さまである。
昭和20年代、30年代の福江教会は木造の粗末な教会であった。
木枯らしの日々は床下から風が入り、外からは壁や窓のすき間を通って冷たい風が入ってきた。
神父さまは「神さまの住まれる教会だけは立派な教会にしたい」と願っていた。そこで神父さまは自分の願いを信者方に話し、信者たちを励ました。
自分自身は爪に灯をともすような質素な暮らしを貫いた。
例えば福江教会から堂崎教会まで行くのにバスにも乗らず、誰かの単車の後ろに乗せてもらったり、船に乗せてもらったりして、当時何十円かのバス代を始末した。
黒いスータンもつづくろってばかりなので重たくなっていた。
信者たちが和式のネルの寝巻きや下着をプレゼントしても、自分は着ないで、信者の中で誰か入院する人があると、その人にプレゼントした。
「あの神父さまはどこの家のこともよく知っちょる。どの家で何が困っているか、みんなよく知っちょる。目が頭の後ろにあるごと、みんな知っちょる」と信者方は感謝をこめて驚くのだった。
神父さまにならい、信者方も努力した結果、福江教会は立派な教会に生まれ変わった。
無欲無私の神父さまは天に宝を積んでいたのだと懐かしく思い出す。