自分の欲望や利益を求めない、私心の無いことを無欲無私と言います。この反対を私利私欲と言い、欲張りで自分の利益だけを追い求めることです。現代社会では、助け合う奉仕の精神や他者への思いやりよりも、私利私欲に走る利己的な人間が多いようです。また、近年はIT機器の便利さに慣れるにつれ生活習慣が変化し、便利さとスピードが最優先で、スマホを使って挨拶や連絡は勿論、会話迄、心を込めた言葉ではなく、短い言葉やマークで済ませるという風潮です。
ことにコロナ禍を挟んでの2、3年で世代や地域の格差が広がり、自分の事だけで精一杯という人が多くなったと感じます。現在、無欲無私に見える人といえば、高齢者施設で静かに余生を送る人か、修行を成し遂げて悟りの境地に到達した宗教家、孤高の研究者や芸術家でしょうか。
でも彼らは現在やっと無欲無私になれたのであって、この境地に至るまでは自分を励まし貪欲に努力したに違いありません。
私は日々絵を描く中でその境地を何となく体験出来た気がします。
それは白い石膏像を前にした木炭デッサンの時です。白い紙に白い塊を描くので、木炭では線が荒いので始めから形を描くのではなく、形の凹凸が作る影の濃淡を丁寧に観察し、木炭を軽く細かく動かし、無心になって、紙をグレーのグラデーションに塗り込めていきます。やがて画面全体が黒くなり、紙の平面中央に石膏像が立体的な白い塊として浮かび上がります。一方、鉛筆デッサンでは精密な線が描けるので、つい欲が出て余計な描きすぎをしてしまうことがあります。まして彩色するとなると、個性的にとばかり自己中心的な野心が芽生えもするものです。
人生で無欲無私になれる時を憧れます。