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無欲無私

越前 喜六 神父

今日の心の糧イメージ

 今回のテーマ「無欲無私」はとても難しい課題だと思います。私は修道者になって60年にもなりますが、それを目指しての修道生活でしたが、正直なところ、「日暮れて道遠し」の感じがします。

 現世を生きるためには、ある程度、欲がなければなりません。私は子どもの時から胃腸が弱かったので、食欲というのがあまりありません。食事は規則正しくしていますが、食欲を感じるのはたまにしかありません。その時には、嬉しいと体が感じているようです。

 欲は生きる原動力でもありますが、大切なのは節制です。しかし、欲の強い人は、それが大変なのでしょう。

 「少欲知足」と禅では教えますが、なぜかというと、人間は本来、神さまの似像(似姿)として造られていますから、神のようになれる偉大な可能性を秘めているのです。

 それが開花・結実するためには、欲や我執、すなわちエゴを滅却させなければならないというのが、スピリチュアルの教えなのです。

 喩えていえば、ペットボトルにジュースがいっぱい入っていれば、美味しいワインをその中に入れることはできないでしょう。美味しいワインをペットボトルに入れようとすれば、まずそのペットボトルを空っぽにし、水できれいにする必要があるでしょう。

 私たちの魂は、あたかもこのペットボトルのようなものなのです。

 まず中を空っぽにし、そしてきれいにするならば、美味しいワインのように、神さまの愛に満たされた恵みが豊かに注がれてくるのです。

 私の好きな禅の言葉で表現すれば、「無一物中無尽蔵」なのです。