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めばえ

植村 高雄

今日の心の糧イメージ

 私は1936年に台湾高雄にあります日本海軍の官舎で誕生し、色々な人生の喜怒哀楽を経験、現在はのんびりと生きています。

 1952年に新潟県長岡市でドイツの神父様と出会い、そのおかげで洗礼を受けることが出来ました。その神父様は戦犯の父を持つ私を何故か、とても可愛がってくださいました。今思いますと、その神父様は私の心に芽生えていた或る種の感情に気づいていたようです。その芽生えとはこの世を嫌悪する感情です。つまり「生きていてもしょうがない」という自己否定的な青春時代特有の感情です。その感情の意味について、その神父様は下手な日本語で語り掛けてくるのです。意味不明な時もあり、困りましたが、同じ敗戦国の日本の高校生に熱く語り掛けた姿を今、感謝しつつ想い出しています。あの優しい神父様と出会っていなければ今の私の幸せはありません。

 老若男女を問わず日々、色々の感情が湧き出しますが、その中の「不安」という感情の取り扱いが一番難しいようです。人により不安の中身は違いますが、この不安感は実は人生で極めて重要な何かのめばえなのです。小さなめばえに気づく場合もありますが、私を含め殆どの人は、その芽生えにはきづかないのが普通なようです。芽は少しづつ大きくなり出します。はた、と気づきますが、気づいたときはすでに遅い場合が大半のようです。若い人々の不幸な死はつらいものですが、人生体験を積んだ大人たちが、この小さなめばえに気づくように配慮出来たらなあ、としみじみ思います。不安感は、その人の理想と現実のギャップから生まれてきますので、ふと不安を感じたら、この不安感は幸福へのめばえか、不幸への芽生えか、識別する訓練が必要なようです。