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めばえ

西田 仁

今日の心の糧イメージ

 私の家族は父の留学に伴い、私が4歳から7歳までの幼少期を米国のボストンで暮らしておりました。

 ボストンは約四百年前に清教徒が開拓を始めた街で、プロテスタントが多い街ですが、私達が住んでいた街はイタリア系移民が多く、カトリック教徒の多い街でした。当時、街全体にカトリック文化が根付いていました。

 父も、日本にいる時と比べると仕事に時間の余裕があり、人生で最も真面目に毎週日曜日に家族で教会に通っていました。

 ボストンは緯度が高く、日本の北海道とほぼ同じですので、冬は雪深い街でした。そのような気候の影響もあり、クリスマスは一面雪に覆われ、イメージはサンタクロースカラーの赤と白でした。それに対してイースターのイメージは、米国東海岸では3月17日に聖パトリックの祝日をお祝いする為に町中が緑色に覆われることもあり、長い冬が明ける「めばえ」の季節、緑でした。

 幼稚園、小学校低学年の私にはキリスト誕生のクリスマスに比べ、イースターの意味は理解出来ていませんでした。ただ、イメージは新たな命の始まりを感じさせる「めばえ」でした。ですから、少し大きくなって、イースターがキリストの亡くなった出来事である事を知った時、「死」と真逆の「めばえ」のイメージを自分が抱いていた事に驚きました。

 ところが、中学生になり、キリストの御復活の意味を知った時に、キリスト者にとって御復活とは終わりを意味する死では無く、始まりを意味するまさに「めばえ」なのだと知りました。あの何の意味も分からず、幼少期に漠然と抱いていたイースターのイメージこそが御復活の意味だったのだと知った時、改めて神様の御摂理を感じずにはいられませんでした。