江戸時代中期、上杉鷹山が米沢藩九代藩主となった。鷹山こそサステナブルを推進した名君と言っても過言ではない。鷹山自身も一汁一菜、着物は木綿をまとい、奥女中も10人に満たない。武士の妻には機織りをさせ、「米織」として今も続いている。飢饉、凶作に備え農民にも気を配り、農業用水の整備をした。また、藩校「興譲館」も創設し、政治、経済を中心とした学問を奨励した。
私が子どもの頃、米沢にはブロック塀などはほとんどなく、大抵ウコギの木が塀になっていた。夕方になるとザルをもってウコギの葉を摘み、米や麦に混ぜて炊いた。ウコギにはトゲがあるので、泥棒よけにもなった。ウコギの塀などは上杉鷹山の妙案でもある
2021年10月、地球全体の環境問題が取り沙汰され、日本造園学会の東北支部大会が米沢を主催地として開催され、コロナ渦のさなか、リモートでも配信された。その中に、分野の異なる市立米沢図書館の副館長、青木昭博氏が招聘されていた。
青木氏は上杉鷹山の平常時からの疫病への対策を発表し、さらに、飢饉、凶作に備えた食の手引き書『かてもの』を紹介した。
この書は、平常時に、鷹山の家臣、莅戸善政や中條至資らが、米の代用となる植物の調査や調理法、そして魚などの保存法を研究し、著したものである。木版印刷の手法によって1575冊を印刷し、米沢の村々の人口に応じて3~5冊ずつ配布した。
後に天保の大飢饉が1833年から6年間続き、東北地方では餓死者が10万人を超えたが、米沢では、この『かてもの』の書により、餓死者は一人も出さなかった。
アメリカのケネディ大統領が「日本で尊敬している人は誰か」と聞かれた時「上杉鷹山」と答えたのもうなずけるのである。