豊かな生活を追い求め、どんなに物を消費しても地球の資源が枯渇することはないと信じていた時代は過ぎ去り、私たちはいま、大自然を大切にしなければ命が脅かされることに気づいています。
多くの企業も、「サステナブル」といって、無駄をなくし資源を大切にする工夫をしています。
しかし、このような考え方はもう何千年も前から聖書に書かれていました。「創世記」には天地万物が造られた様子が文学的に描かれています。そこでは太陽や月や星、海や川が出来て、植物が生えたのちに動物が生まれ、最後に人間が造られています。大自然には美しい秩序があって、すべての命がつながり、互いに生かしあっています。
人間が最後に造られたのは、大自然に命を支えられているからです。自然を壊したり傷つけたりすると人は生きられなくなります。
「レビ記」という箇所には、神さまが地を耕す人に与えた実りには、貧しい人の分も含まれていることを知らせています。「穀物を収穫するときは、畑の隅まで刈り尽くしてはならない。収穫後の落ち穂を拾い集めてはならない。ぶどうも、摘み尽くしてはならない。ぶどう畑の落ちた実を拾い集めてはならない。これらは貧しい者や寄留者のために残しておかねばならない」とあります。(19.9~10)大地の実りは、神さまが無償でくださった太陽やさまざまな恵みによって得たのですから一部の人が独占するものではないのです。私たちは聖書を読み、神さまの知恵に立ち帰ることが必要ではないでしょうか。元気で働ける人もそうでない人も、物言わない動物たちも天の御父に愛されています。みんなが同じ家に住む大家族だと聖書は教えています。