33年間一緒に暮らした夫の父は、もったいない精神のかたまりのような人であった。
戦中戦後の耐乏生活をそのまま体現していた。特に水に対しては厳しかった。
「歯をみがくにはコップいっぱいの水、顔を洗うには洗面器いっぱいの水、お風呂で体を洗うにはバケツいっぱいの水で十分」と言っていた。それは衣食住にわたっていた。
23歳で夫と結婚して同居したが、最初は慣れなくて辛い辛い日々であった。
しかし、それでも当時は夫の母もいて、義父と直接に関わることは少なかったが、晩年、義母が5年半入院していた時には、衣食住、直接に関わるので、毎日修行の日々であった。
洗剤一滴でも背後から見ていて使いすぎとの注意を受けた。
小言を言われたことは数知れず。
しかし、義父が亡くなって18年がすぎた今頃になって、義父が懐かしく、感謝の気持ちでいっぱいになる。
末の娘で甘やかされて育った私をしつけ直してくれたのだとさえ思えるようになった。義父のおかげで衣食住、すべてにわたって、ありがたいなと思えるからである。3度の食事の時はきちんと正座し、両手を合わせて食物に感謝していた姿を思い出す。義父は木綿の布は絶対に捨ててはいけない、何かの役に立つと言っていたが、それは実家の母の口癖でもあった。
この世にあるものは、すべて神さまからの借り物という考えは共通していた。
地球上のものは限りがあるので、自分たちの代で無駄使いをしないで次の代に残すという義父の考え方は、今風に言えばサステナブルであった。
神さまに感謝するなら、サステナブルな生き方になるのである。