2015年の国連サミットにおける「持続可能な開発の為の2030アジェンダ」に記載された「持続可能な開発目標(sustainable development goals)」をきっかけに、突然日本で「サステナブル」が流行した気がします。
私が通った中学・高校では、ドイツの木工師マイスターの資格を持つ修道士が学校内の修道院に住んでおられ、私達が学校で使う机などの木工製品を全て作って下さっていました。代々、受け継がれた机がいたむたびにいつも修理して下さいました。こうした作り手の見えるものを使って育った私は、自然と手作りのものを大事に使い込んで、また次の世代に引き継いでいく事に価値を見出すようになりました。
その為か、結婚して家庭を持ってから揃えた家具も、大体2~300年前から使い込まれているアンティーク家具ばかりになりました。子供達が壊しては、一緒に「壊してしまってごめんなさい」と職人さんの所に持って行き、見事に修復して頂くと「ありがとうございます、大事に使います」と言って貰い受けに行きます。
再利用出来ないよりは、再利用可能な資源を使う方がもちろん良いとは思うのですが、世の中が全体的に合理的な考え方に傾き、使い捨てを前提にしたモノ作りになっている気がして、少し寂しい気持ちになります。
「サステナブル」という単語が流行し始めた時、主に環境問題を意識して使われている言葉で、「資源を再利用可能な」という意味で使われている事が多い気がします。捨てることを前提とした再利用だけでなく、捨てなくて済む、大事に使い続けることも、「サステナブル」のもう一つの選択肢として定着して欲しいと思います。