新型コロナウィルスの世界的感染拡大を受け、1年遅れで昨年夏に賛否両論あるなか、東京オリンピック、パラリンピックが開催されました。個人的にはオリンピックの開会式より、パラリンピックの開会式の方が好きでした。
しかしながら、私は毎回オリンピック、パラリンピックを観るたびに違和感を覚えます。それは共生社会を謳いながら、なぜオリンピックとパラリンピックを分けないといけないのかと言う事です。
最近は男女平等も強く叫ばれますが、ほとんどの競技が男女別に開催されています。男女で、パフォーマンスに違いがあるから、階級の違いのように、別種目として開催可能なのであれば、なぜ障害のある人々が、同様にオリンピックの中で、別種目として開催する事が出来ないのでしょうか。
私は、平等とは同じになる事ではなく、同じに扱われる事だと思います。男女の平等も、男女が同じになる事を意味するのではなく、同じように扱われる事、例えばオリンピックで言えば、男子の金メダル記録の方が女子の金メダル記録より好記録だからと言って、男子の金メダルの方が女子の金メダルより価値があるとは誰も思わない事です。
「共生社会」とは字のままで、共に生きる事であり、同一化する事では無いのです。「あなたは、あなたのままで良い。」そう想い合い、共に敬意を持って接する事が出来る社会だと思います。
真の意味での共生社会が形成された暁には、きっとパラリンピックはなくなり、オリンピックの一種目、または一階級として開催されるでしょう。
そして、障害者部門の競技者達もパラリンピアンでは無く、オリンピアンと呼ばれる事を切に願います。