小学生の時、障害のある同級生がいました。言葉が不自由で知的障害もあった彼女とは、うまく話すことができませんでした。
ある時、彼女からいたずらをされて腹を立てたことがあります。彼女は私が嫌がっていることを知りながら、前に座っていた私の肩に自分の上履きを乗せるのです。私がそれを彼女に返すとまた乗せる、この繰り返しを彼女は面白がっていたのです。彼女とほかの同級生との関わりがどのようなものだったのか知りませんが、孤立していたのは明らかでした。それを思うと、彼女の私へのいたずらは、孤立した学校生活の中での数少ない楽しみだったのかもしません。
彼女は5年生から養護学校に転校したと記憶しています。
一方、当時大人の障がい者で、立派に生活しておられる方がおられました。その方の持つ身体的な障害をその方の個性として捉えていたので本当に普通に接していました。
何年も経った帰省の際、偶然、同級生の彼女に会ったことが一度ありました。小学生の時と何一つ変わらない幼い姿に驚きました。お母さんが傍にいて何か話しておられました。今も心残りなのは、この時彼女に話しかけることができなかったことです。
「だれもが相互に人権と個性を尊重し支え合い、人々の多様な在り方を相互に認め合える全員参加型の社会」が共生社会であると、文科省のホームページにあります。小学生の私は、この大人の方の障がいを個性として受け取り、同級生の障がいを異質のものとして受けとっていたのだと思います。それは彼女を理解できていなかったからです。
自分で選んだのではない在り方を、「違い」ではなく「個性」として受け止める、人権に対する真の理解が大切なのだと思います。