聖書には「みなが一つになるように」というイエスの切なる祈りが記されています。それは、被造界のあらゆるものが一つになり、調和のとれた世界、つまり真の「共生社会」が実現しますようにという切実な願いだと思います。
「共生社会」とは、文字通り、共に生きる社会です。健常者と言われる人も障害のある人も、人間も他の生物も自然も、命あるすべての存在が、すべての違いを超えて共に生き、真の相互関係を生きることです。
しかし、そのような理想論を並べても解決の糸口にもならない現実があります。年々深刻になっている環境問題は、私たち人間が利便性のみを追求してきたことによる代償とも言われます。そして、環境の悪化は社会の悪化にもつながり、世界中で最も弱い立場に置かれる人々が最も大きな影響を受けています。
私たちは、便利な生活を続ける中で、気づかないうちに世界の悪に加担していると言えるかもしれません。私たち一人ひとりは、真の「共生社会」を実現するために何ができるのでしょうか。
私は、修道院で家族ではないメンバーと共に生活をしています。ユートピアでは全くありません。お互いに受け入れ合い、共に生きようとすることによって、人間としての多くの学びがあることを実感しています。
ささやかな日常の中で、できることを心がけたいと思います。共同体のメンバーに関心をもち、お互いを思いやること、合わないメンバーによって感情が乱される時、優しさや笑顔の実践を、疲れて不平を言いたい時、心静かに祈ることを、地球環境のためには、水や電気の節約、ゴミの分別、世界中の政情不安の国々の人々に思いを寄せ、祈りと小さな犠牲に努めること等です。