キリスト教の天国は、一人では実現できない。なぜならキリスト教では、人と人とが互いを受け入れ、愛し合うとき、そこに天国が生まれると考えるからだ。一人ぼっちの天国はありえない。聖書の中でイエスが、「神の国はあなたがたの間にあるのだ」(ルカ17・21)と語っている通り、天国は、人と人とが手を携えて共に生きるとき、その人たちの間にあるものなのだ。
はるかかなたの雲の上の世界ではないという意味で、天国は身近なものだ。だが、実際問題として、天国への道のりはなかなか遠い。愛し合うことの中に幸せがあると分かっていても、わたしたちは、つい競い合い、傷つけあってしまうことが多いのだ。
「共に生きる」という意味で「共生」という言葉がよく使われるが、実際にこの世界で目にするのは「競争」である場合が多い。どうしたら「競争」をやめ、「共生」を実現できるのだろうか。
競争が生まれる一つの原因は、何かを手に入れることが幸せだという考え方だろう。地位や財産、名誉などを手に入れることが幸せだと思うからこそ、それらを巡って争いが生まれる。だが、わたしたちの幸せは、何かを手に入れることの中にはない。自分のものにしようとしがみついてるものから手を離し、それを誰かと分かち合うとき、わたしたちの間に生まれる愛。その愛こそが、わたしたちの幸せなのだ。
「わたしたちは、競い合うために生まれてきたのではありません。愛し合うために生まれてきたのです」とマザー・テレサは言った。
愛し合うために生まれてきた人間は、愛し合わない限り幸せになれないとも言えるだろう。共に生きる社会を実現するために、まず、わたしたちの幸せがどこにあるのかを確認することから始めたい。