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共生社会

林 尚志 神父

今日の心の糧イメージ

 「夕飯食べていく?」子どもの頃友達の家で遅く迄遊んでいると、おばちゃんが声を掛けてくれたことが懐かしいです。それに倣ってか「飯食って行けよ」と友達を夕食に誘って、「何もないのよ、前もって言わなければ。 お金ないのよ」と母親に怒られたりしました。

 一緒に食事する、共食が大好きです。勿論一人ゆっくり食べ物や景色と話しながら食事するのも好きですが。食材のいのちをよく噛んで頂く一人黙々食事は、心を思いを深めてくれます。

 随分前の話ですが、タイ・バンコックの郊外でゴミの山を中心にするスラムに短い滞在をしたことがあります。アイルランド出身で香港から来た神父と、木の床の隙間から川の水が見えるスラムの部屋に同居していました。慣れない逃げ出したくなるハエと臭気のゴミの山で、裸足で働く子ども達と、ビニールやプラスティックのゴミ、目ぼしい廃品を拾い集める労働の体験学習でした。疲れて夕方扉を閉めて、外から見えないようにして、二人のよそ者神父はミサ聖祭をしていました。ふと視線を感じると、扉や窓の隙間から大勢の子ども達の目が覗き込んでいました。「あれっ、この二人の外国人、自分達だけで何か食べている」そんな言葉を感じた夜、お隣さんから夕食への招待がありました。子ども達と一緒の質素な食事でした。言葉は通じなくても和気あいあいでした。

 一緒に食べる事が共に生きる路を開いてくれたようでした。国籍も生活水準も宗教も色々な背景も違っていましたが、そのスラムの一角で、一緒に生きていく通じ合いを感じて、明るく嬉しく楽しく成ったことを憶えています。

 そういえばイエスという方は「私を食べなさい」と究極の共生への道を拓かれましたね。