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共生社会

岡野 絵里子

今日の心の糧イメージ

 友人たちで、家族に料理を作る楽しさ大変さを話していた時のことである。或る年長の友人が「皆で同じものを一緒に食べるのが、家族というものよ」と言った。それは確かに正しいようで、でも何となく違和感があった。今は家族と言っても、その形態は様々だ。友人の一人の家族には、高齢の祖父母から食べ盛りの若者、小さな赤ちゃんまで、血筋こそつながっているものの、異なった年代の人々がいる。同じ食生活を送るのは無理ではないだろうか。それぞれの身体に合った食事を心配りしてもらい、好きなものが食べられるのが家庭の良さだと思われる。

 私はそう言ってみたが、その人は「いや、同じものを皆で食べてこそ家族」と頑なに譲らなかった。

 彼女は一人暮らしの人だったから、一つの鍋から食べ物を分け合う、仲の良い家族をイメージして、夢を語っていたのかもしれない。

 私たちはなんだか申し訳ない気持ちになって、家事の大変さを愚痴るのを止めた。

 しばらく前から、共生する社会の在り方が模索されている。様々な文化や宗教、ハンディキャップを持った人々が共に生きる社会が目指されているのである。

 人々が共に生きるには、お互いが持つ異なる価値観や事情を理解し、そのまま尊重することであろう。だが、これが本当に難しいのである。私たちはつい、同じ鍋で同じものを食べるのが、仲の良いしるしだと思ってしまう。でもそれは、立場の弱い誰かに、我慢させている状態かもしれないのだ。私たちが多様であるのは、「多様であれ」、と造られたからである。その偉大なる手に与えられた、共生という課題を、さあ、私たちはこなせるだろうか。