私たちは、日常、人の話し声、テレビや車の音等、たくさんの生活音の中で生活しています。「沈黙」というのはどこか落ち着かない、怖いとさえ感じる人もいるかもしれません。私たちは、また、日々会話をしながら対人関係を築きます。対話は、人間関係を構築し育む、基盤のようなものです。話の途中で、ふと訪れる沈黙が苦手という人も多いと思います。誰でも、対話の中で話が途切れ、沈黙になる時、「話題がない」、「何か話さないと」と、焦ったり、気まずくなったりという経験があるのではないかと思います。
私は、年に一度、日常を離れ、沈黙のうちに過ごす8日間程の「黙想」の機会をいただきます。最初のうちは、なかなか集中することが難しく、いろいろなことで散漫になりがちです。目や耳から入ってくるすべての情報や他人との会話等をいくら遮断したつもりでも、乱れた心の中では、目に見えない他人との会話を続けていたり、ちょっとした音や目につく物事が刺激になっていろいろな想像が膨らんだりして、自分では処理しきれない情報や感情に振り回され、エネルギーを消耗している自分に気づかされます。
しかし、沈黙に身を委ねていけると、意識せずとも記憶のどこかに残っている出来事や自分の感情に惑わされてきた日常の自分から解放され、沈黙の中でこそ得ることのできる安堵感と、日常では失いがちな穏やかで平和な感覚を取り戻すことができます。
黙想の「沈黙」を通して、私は、一人ひとりの心の奥深くに、常に湧き出るようないのちの泉があることと、それぞれの存在を包みこむような大きないのちが現存され、「沈黙」こそがそのいのちとの対話であり、何も恐れることはないと感じるのです。