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沈黙

林 尚志 神父

今日の心の糧イメージ

 落ち葉を踏んで歩くことが好きです。一瞬の静けさ、沈黙が無いと、落ち葉がくれる秋(とき)を失います。その身を砕いて優しく静かに母なる大地に帰る瞬間の音です。「かさこそと落ち葉を踏み歩く散歩道」、昔から親しまれた表現です。

 もう35年程前の事ですが。山口県山口の普門寺という禅寺を訪れた時、裏口から帰ろうと細い短い坂道に出ました。その時、一瞬の沈黙が行き渡り、落ち葉が足の下ろす場も無く繰り広げられていました。ごめんなさいねと謝る様にそっと落ち葉の上に足を置きました。その時の枯れ葉の砕ける優しい音が、足の裏から全身に伝わったことを未だ心身が憶えていて沈黙の中で蘇ります。その一葉の枯れ葉しか告げられないお寺を囲む木々の歴史と、その坂道の上にある墓地を行き来した人々の遺した思いまでが、一瞬の沈黙の彼方から響いてくる感覚です。

 落ち葉を踏む時を大切にしたいです。それが時々で有ってもです。かって竹林に囲まれていたそのお寺も、山陽側から日本海側に通じる幹線道路の騒音に曝されています。広くないお寺のお庭の鐘楼(鐘つき場)から北東の空に、有名な聖フランシスコ・サビエル記念聖堂の鐘が見えるのです。お寺の鐘と教会の鐘が同時に鳴る時、両者の普段の沈黙の中でも、不思議なそれこそ神秘的な音の重なりが宇宙に響くのです。その様な和が沈黙の中で創造されます。恵まれた空間ですね。日常の喧騒の流れから、ふと思い立ち、流れから足を離して、想像の産物としてもそのような和を思うことは人間として生まれてきて有難い事ですね。

 比較・抗争の尽きない現代の流れの最中でも、一瞬の心の沈黙の中に違いと境を越える愛の叡智の時を頂きたいものです。