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まなざし

植村 高雄

今日の心の糧イメージ

 大学生の頃、1枚の絵に心を奪われた思い出があります。カラッチという画家が描いた「イエスとサマリアの女」という絵です。「わたしが与える水を飲む者は決して渇かない」と添え書きがありました。

 その頃、私の心は、洗礼を受けたばかりにかえって悩みが激増していました。このサマリアの女のように、素直にキリスト様を信じて安定することが出来なかったのです。洗礼の勉強で得た知識が若い私をかえって苦しめます。心は渇いたままでした。

 学生時代の思い出は、今では輝いていますが、当時は心乱れていました。心の平安を必死で求めてミサに通います。しかし、サマリアの女のように、心満たされ神様に抱かれ生きる道が見えてきた、という生活にはなれませんでした。友人や先輩に激しい議論をふっかけるものですから、ガールフレンドなどは大学食堂で私をみると、さりげなく逃げ出していたようです。

 当時夏目漱石に凝りだして「三四郎」を読んでは本郷あたりを徘徊します。小説の中のマドンナ美禰子さんを空想して不忍の池あたりに座り込み、漱石の世界を堪能します。お金もないのに有名な西洋料理店に入ります。そこでふと前の席を見ますと、ご高齢のご夫妻が静かに黙々と食事をされています。会話はないのですが、時々、まなざしをご主人に向けているのを垣間見ます。そのまなざしは、何とも美しい微笑みを漂わせています。晩年、あのような姿になりたい、と思いました。あの温かく静かな光は、どこから湧き出すのだろう、とも思いました。

 昭和34年頃でしたから当然第2次世界大戦を経験されています。多分、明治生まれのご夫妻でしょう。このご夫妻の沈黙のうちに交わす「まなざし」は私の人生の宝物となりました。