大丈夫?頑張ってね、応援してるよ。その様に言ってもらい、何かにチャレンジするのを遠くから、近くから見守って貰った嬉しい経験はありませんか。また何か失敗してしまい、冷たく見放されて、遠くから、近くから冷たい視線を浴びた経験はこれまでありませんか。どちらも相手から見られるわけですが、それはまなざし。そこにはまなざしがあります。
自分にとって気になる相手の一挙手一投足に一喜一憂することも多い様に思いますが、その相手のまなざし、また声援が何かを行う上での力になりますね。自分のすぐ近くからのまなざしであっても、見えない遠くからのまなざしであっても。
その様に自分に向けられるまなざしが、自分にとってとても大きな力を持つのであれば、言うまでもなく、自分から誰かへのまなざしも相手にとって大きな力を持つのでしょうね。私たちは「自分は一人で生きている」と思っていても、決して一人だけで生きているのではありません。必ず誰かと触れ合って生きています。たとえそれが一瞬の刹那だったとしても。
自分が誰かに向けるまなざし、それが自分から水知らずの誰かへのものであったとしても、相手が気づくか気づかないかにかかわらず、そのまなざしは大きな力を持つことでしょう。そのことを心に留め、一日一日を生きようとするならば、私のまなざし、自分のまなざしは一体どの様なまなざしであるのか、大切にしながら歩んでゆく必要があるのでしょうね。
私のまなざし、私たちのまなざしが、私たち一人一人を見守られる神の温かなまなざし、人を思いやるまなざしと同じものになってゆきます様に。まなざしで支え、支えられながら、ともに歩んでゆくことができます様に。